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4月 24, 2006

小学校での英語教育

親が子供に望むことは、「言葉で苦労や躊躇があるから外国は苦手、になって欲しくない」ということだろう。
別の見方をすれば、「言葉(外国語)が出来たらもっと海外の仕事が出来ただろうし、旅行にもいけたのになぁ。だから子供には可能性を広げて欲しい」ということだと思う。

だから、大事なのは、「英語でのコミュニケーション能力の向上」であって、中学英語を前倒しして小学校で教えるのは間違っている。
 サ行変格活用を学習してから「しない、する」とか言っているわけではないのは日本語の習得過程を振り返れば明らかであろう。  かつて、外国人がそばに居なかった時代には、ある程度の文法(文章の法則?)を学べば、文章の理解がしやすい、という理屈から来ているのだと私は解釈する。

日常会話ほど難しいものは無い、というご意見もあるが、だったら「一般会話」でも良い。もっと言うなら「一人旅会話」「留学する為の会話」でも何でも良い。
一人でアメリカに行ってホームステイし、現地の学校に2ヶ月体験留学する、なんて状況を人生ゲーム的にシュミレーションし、英語で2ヶ月乗り切るためのコミュニケーションが出来るような能力が身につけば目標達成だ。

今の「小学校での英語教育論」には目的・ビジョンが見えないから、みな方法論とか成績とかにこだわってしまう。
そんな議論をしているヒマがあったら、外国人が必ず聞いてくる、「東京ってどんなところ?」「アナタの趣味は?」
といった質問がどうして発せられるのか、それに対して、どういう答えが期待されているのか、それは何故か、といったことを教えてあげれば良い。要するにコミュニケーションスキルとそのバックグラウンドの知識を日米の違いをクリアにしながら教えればいいのである。

「言葉が違えば考え方も違う」ということを教えなさい。
だから、いかに英文をうまく訳せたとしても、モトの文章が持つ文化背景を理解していなければ何の意味も無いのである。

ついつい感情的になって長々と書いてしまった。 短くまとめる練習も大事だ!

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4月 17, 2006

中国語

私は最初の赴任地が北京だったのと、中国語に関する基礎知識が全く無かったので、「できるだけ正確な発音」ができるように心掛けた。
ただ、根本的に間違っていたのは、発音記号の読み方、発音の仕方だった。
「e」(鄧小平のdeng)はどうしても「タン」っぽく発音することが出来なかった。
頭の中にある「e」という先住民が中国語の「e」を拒否していたからだ。

私の普通話がブレイクしたのは、shの発音を自分流にマスターし、それが通じた時からだったと思う。
この発音をするときに、私は前歯を軽く噛み合わせる。(舌はややそり舌) これでちゃんと通じる。
というか、地方に行くと、「アンタの発音は本当に標準的だね」と言われる。
それはそれでうれしいのだが、皆さんもあまり心配しないで。
中国の人たちは方言にすごく慣れている。(通じる通じないは別として)
東京近辺で生まれ育った人から見ると、ちょっと東京近辺以外の人たちの発音が自分たちのと違うと「田舎者」と蔑視してしまうのは私だけではないと思う(それでも横浜で生まれ育った我が配偶者からは時々田舎者を見る目で見られることがあるのだが)。
思い切ってどんどん話し掛けよう。相手の言うことが理解できたらそれを真似するだけだ。

次のブレイクは、「ナー(じゃぁ)」と「打電話給ニィ」だったと思う。
「ナー」で言葉をはじめると、次がうまく出てくる。
「じゃぁ、こうしよう」「じゃぁ、明日行くよ」ってな具合。
電話は「給ニィ打電話バ」とかでも通じる。

中国語の場合は四声を間違えると別の言葉(漢字)になってしまうので、意味が通じなくなる。
一つのフレーズ(文節や短い文章)に抑揚やアクセントをつけ、リズミカルにメリハリを(日本人の私たちにとっては多少オーバーに)何度も口ずさもう。

カラオケは個々の単語や漢字をマスターしてからおぼえた方が良い。
全ての子音に必ず母音をつけることによって成り立っている日本語と、四声・ピンインで成り立っている中国語では間違ってヘンなクセがついてしまうからだ。

結果として(?)私は中国語の歌をいくつも歌えるが、いまだに意味がわからない、、、、、

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